写真を撮る意味/学ぶ意味

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2015-01-26 14.51.57様々な表現方法がある中で、しかもスマートフォンで簡単に悪くないスナップフォトが撮れる時代に、わざわざ写真を習ってみようと思っている方には、なにか特別な(本人が今気づいていないとしても)動機があるのではないでしょうか。写真を撮る上で一番大切なのは、技術でも機材でもモデルでもなく、「なぜ自分はこれを写真におさめようとしているのか」という問いだと私は考えます。技術や機材はそれを他者に伝わる形にするためのものでしかありません。テクニックをお伝えする前に、少しご自分の『思い』に向き合ってほしい。そのために、私が写真から得たものについて、少し長いお話をしたいと思います。

 

世界に輝きを取り返してくれた写真

私が本格的に写真を撮り始めたのは、ある重い病気にかかり、それまで心血を注いできた仕事を辞めざるを得なくなってからでした。寝ていても途中で目覚めて仕事のメモをとるほど、文字通り24時間夢中になって打ち込んでいたのですが、続けることができなくなったのです。とにかく忙しかったけれど、刺激的でキラキラしていた毎日が、突然色を失ってしまったようでした。病気は根本的に治療する方法がなく、一生付き合っていかなければならないもので、仕事に復帰することはかないませんでした。

何をしたらいいかわからない、そんな気分のとき、そういえばずっと前に買った一眼レフがあったなあ、と思い出しました。自由な時間もできたし、習ってみようかな。そんな程度の気持ちでカメラを持ちだしてみました。

すると、ファインダー越しに見る世界は、意外なほどに輝いていて、散歩道の隅っこに咲く小さな花が実はとてもうつくしく、空は青く透き通っていることに気づいたのです。いつもそばにいてくれる愛犬も、カメラを向けると嬉しそうに笑顔を見せてくれます。錆びたトタンも、朽ちかけた花も、すべてが美しい。一度色をなくした世界が、カメラを通して再びきらめきだしたのでした。

カメラのおかげで、私は世界ともういちどつながった。そう思いました。
この気持ちを伝えたくて、共有したくて、私はカメラ講師の道を選んだのだと思います。

 

とどめておくこと

それから数年後、私の最愛の存在、私のすべてであり、不世出のモデルである愛犬が、病に倒れました。この世を去ったのは、不調に気づき精密検査を受けさせ、病気がわかってから、わずか3週間後のことでした。それまでも毎日必ず愛犬の写真を欠かさず撮り続けていましたが、その3週間は、愛犬が私に与えてくれる愛情を撮り尽くそうと心に決めました。少しずつ弱っていく姿、その中でも見せてくれる楽しそうな表情、そして別れの時。記録と記憶をしっかりと残すことができたと思います。途中、痩せていく様子を撮るのはやめようと思った時もありましたが、それも含めてすべてが、彼女の生きた証であり、かけがえのない記憶です。

ペットのように、必ず先に世を去ってしまう存在でなくても、例えばお子さんや庭の草花の成長も、毎日が今このときにしか目にできない、特別なものです。当たり前のことなど、何一つないのです。二度と来ない瞬間を、心の目でしっかりと見て、その時の気持ちと一緒に写真に残す。カメラを持つと、被写体を見つめ、ファインダー越しに見て、さらに出来上がった写真を見るというふうに、何度も何度もそのときの輝きを見なおして心にとどめることができます。だからこそ一分一秒がとてつもなく貴重に思えてくるのではないか、私はそう感じています。

大切な瞬間を、心が感じたとおりに残すために、カメラの機能を知り、写真の撮り方を学ぶ。そんな方にひとりでも多くお会いできることを願っています。