マクベスの魔女

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「きれいはきたない、きたないはきれい」
このことばは、シェイクスピアの『マクベス』冒頭で3人の魔女が投げかける呪文です。
「きれいはきたない」だけならば、「美しいバラには棘がある」「物事には表裏がある」というような、陳腐な処世訓でしかなかったのですが、「きたないはきれい」を持ってきたことにより、人生の重層性を感じさせるフレーズになったと思います。穢れたもの、打ち捨てられたものが、一転して聖なるもの、清らかなものに変わる、そこに神(宗教的なものではなく、何かを超えた存在としての神)の救済を感じます。

2016-02-11 12.48.24

私は自分のために写真を撮るとき、「きたないはきれい」を頭の片隅においていたりします。きれいなものの裏側を暴く、なんていう気持ちはないけれど、「きたないはきれい」、汚れたもの、役目を終えたもの、人から顧みられなくなったものの中にひっそりと隠れている美しさを切り取っておきたいと思います。

それはやはり、大きな病気をした経験から来るものかもしれません。

2016-01-14 16.24.26

完治する方法が見つかっていない病気になり、それまで打ち込んでいた仕事を手放し、いろいろなことを諦めざるを得ませんでした。社会経済的な価値という点では、その病気になってしまった時点で負の存在になってしまったのかもしれません。でもそこからカメラを手にしたとき、健康である意味無神経に生きていた頃には気づかなかった、「価値のない」ものたちの美を知ったのです。それらの美しさを写真におさめるのは、自分自身の無価値さを赦すことにつながっていったのだと思います。

2016-02-03 14.55.56

今は少し体調も良くなり、自分を救うために撮っていた写真で、お仕事ができるようになりました。
それでも心が疲れたり、虚しさに息苦しくなった時には、誰も来ない森の中の淀んだ沼や、平凡な空き地で立ち枯れた草花にカメラを向けます。私だけが見つけられる美しさに向き合っていると、ふと太陽の光がすべてを赦してくれているような気持ちになります。

まわりから羨ましがられるような人でも、必ず複雑な感情を抱えているものです。それは他人からの賞賛では埋まらない穴だと思います。様々な方法がありますが、写真を撮ることで自分を救うこともできる、と私は思います。私の写真教室では、基本的には「撮りたい写真を撮れるようになるテクニック」をお伝えしていますが、ただ技術を身に付けるだけではなくて、写真を撮ることが何かの助けになればいい、そんな気持ちを込めてお話しています。

来月は去年亡くした愛犬の一周忌です。一緒に歩いた道で、ひとりで撮ったもの。悲しい人と寂しさをわかちあえたら。
2016-01-14 16.00.10

2016-02-03 15.10.14

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2016-02-11 12.34.27

2016-02-11 12.48.02

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