自分が思っていることを、尊敬する人も言っていたら嬉しくないですか。嬉しいですよね。
写真教室の授業でいう話とは別に、個人的に語ることなのですが、「写真がうまくなりたい」と言われたら、「毎日撮れば必ずうまくなるよ」と答えています。カメラを持っていないときも、脳内カメラで一瞬一瞬を静止画で切り取る習慣をつけると、普通の世界の中にきらめくものを発見できるようになっていって、いざカメラを持ったときには導かれるように撮れる、と思っています。生きることは見ること、見ることは撮ることだと。
地元に新しくオープンした書店に行って、吸い寄せられるように買った荒木経惟の本。
※エロスとタナトスのエロス側の写真も多く掲載されているので、電車の中とかで読むとちょっとドキドキするかもしれません。
— 日々刻々と、呼吸するように、心臓が鼓動を続けるように写真撮ってんだから。
活きるってことは、淡々とそれを続けていくことだからさ。そういう日常の中に、時おり驚くようなことが潜んでいるわけだ。それを記録していく、複写していくだけ。
写真ノ説明 (光文社新書) p7
一日100カット以上撮れてしまう、とも書いてあります。
前号のBRUTUSは「森山大道と作る写真特集」号だったのですが、ちょうどそこにも、
—ひとまず量のない質はない、ただもうそれだけです、ぼくの唯一のメッセージは。/まあ、カメラで日記をつけているようなものなんだ。
BRUTUS(ブルータス) 2016年 3/1 号 p36
77歳の今も毎日のように路上を歩き、一日何千枚も撮るという森山大道。
こんな世界に名を轟かす方々と「同じ話をしている!!」なんて言うのはそうとうにおこがましく、むしろそれはなにかを作り上げるときの常識なので、堂々と偉そうな顔をして言うことでもないのですが、ふだん考えている方向が間違った道ではないんだな、と思うと嬉しくなります。
こんな記事に自分の写真を載せるのはさすがに恥ずかしいので、本のお顔で。
***余談***
まだ犬がこどもの頃だから、10年以上前だなあ。まだカメラを始めていなくて、持ってたのはよく覚えていない小さいコンデジだった頃。犬の口元におできができたんです。ごまつぶより小さいおできだったんだけど、心配で心配でしかたなくて、病院に連れてったら「よくこんな小さいの見つけましたね!!」って驚かれて、様子見でいいです、1ヶ月後にまた来てね、大きさを見ておいてね、って言われたんですよね。
大きさをしっかり見ておかなくちゃ! と張り切って、コンデジで犬の口を毎日毎日撮ってたんです。その頃はピントの合わせ方も知らなくて、ただひたすら犬の顔にカメラを向けて。
犬は嫌がって動いちゃうし、こっちは必死だし、ほとんどの写真が手ブレ+被写体ブレで、よく言えば活き活きした動きのある写真で。
1ヶ月後の通院のとき、30枚のブレブレボケボケの写真をアルバムに入れて持っていったんです。先生に「毎日大きさを確認しました!」ってドヤ顔で見せたら、先生の顔がプルプル震えだして、もう必死に笑いをこらえてて。
家帰ってから家族に写真を持ってったことを話したら、「…きっと、『アラーキー』ってあだ名になってるよ…(←そう、わたしの苗字はアラキ)」って言われたんでした。
あのときのものすごい写真、どこに行ったのかなあ。あれ、今思えば、良い写真だったよなあ。